水内大使からのご挨拶
令和元年11月20日

みなさん、こんにちは。10月11日に新任の日本大使としてザンビアに着任した水内と申します。よろしくお願いします。
まず、クイズです。
「アフリカと日本との関係は、ヨーロッパと日本の関係と同じくらい古い――〇か×か?」
正解は〇です。
記録されている最初のアフリカ人の日本への来訪は、天正9(1581)年ということになっています。ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えてから38年,ザビエルが日本にキリスト教を伝えてから32年後のことです。フランソワ・ソリエ(François Solier)という人が書いたHistoire ecclesiastique des Isles et Royaumes du Japonという本の中に、イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した時、インドから黒人の従者を連れてきて織田信長に会わせたこと、この者はモザンビークの出身で(native of Mozambique)、喜望峰方面で「カフレ」(Cafres)と呼ばれる人々の出であることが書かれています。このアフリカ人を織田信長がヴァリニャーノから譲り受け、「弥助」という名を与え、家臣として取り立てたのです。身長が180センチ以上もあったそうで、身体能力も優れていたでしょうから、戦国時代の日本でずいぶん活躍したのではないかと思われます。
「カフレ」というのは、東アフリカ(タンザニア、モザンビーク、ザンビア)のあたりの出身者のことをヨーロッパ人が呼称したものと考えられますから、「弥助」はザンベジ川あたりの風景を記憶して育った人物であると思われます。
11月6日、着任後初めて首都ルサカを離れ、ルアングワという町まで視察に行きました。ザンベジ川とルアングワ川の合流地点で、ザンビア、ジンバブエ、モザンビークの3ヶ国の国境が交差する、アフリカ版「ゴールデン・トライアングル」です。案内してくれたルアングワ行政区の長官が、昔この町にも奴隷を売買する市場があり、ザンベジ川を下ってインド洋に運ばれていった、と語ったことが印象的でした。その話を聞いて、ヴァリニャーノの従者として日本に渡航し、信長に召し抱えられて家臣となった「弥助」のことを思い出した次第です。つまり、ザンベジ川は信長の時代から今日に至るまで、日本とザンビアをつないでいたのだ、ということです。


さて、弥助が日本を訪問してから438年目にあたる今年(2019年)、日本とアフリカの関係は大きな転機を迎えました。今年8月に横浜において、TICAD7が開催されたことによるものです。日本のテレビ局は連日アフリカ特集を編集し、日本人のお茶の間に放映しました。この会議の大きなメッセージは、今後日本としては、日本のビジネスのアフリカへの展開を強力に支援するということです。
私は、このような転機においてザンビアに赴任することとなりました。任期中日本とザンビアの関係が一層強化・発展するために最善の努力を払ってまいります。日本企業の進出を積極的に支援するとともに、在留邦人やビクトリアの滝への訪問者をはじめとする日本人旅行者への支援にも努めてまいります。
ザンビアとの関係では、日本留学・JICA研修経験者やABEイニシアティブ経験者をはじめとする次世代との関係を強化していきたいと思っています。若い世代のつながりを通じ、ポップカルチャーをはじめとする日本の様々な魅力を発信していきます。ザンビアにとり信頼できるパートナーとして、潜在力溢れるザンビアの持続的発展に貢献していきます。
これらの目標を目指していくうえで、日本とザンビアの多くの方々からのサポートをいただけることを希望する次第です。