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ザンビア便り第19回 「ルサカ100周年祭」

 

 ルサカの町に溢れんばかりに薄紫の花を咲かせていたジャカランダも盛りを過ぎたようです。ザンビアの首都ルサカは,人口170万,ザンビアの政治・経済の中心地として発展しています。人口も,10年前には100万人だったのが急増しています。

 

 ルサカの誕生はザンビアという国の誕生よりも前のことです。ザンビアは1964年にイギリスから独立しましたが,それまでは,「北ローデシア」という名前でイギリスの植民地(保護領)となっていました。ルサカが地方自治体として正式に発足したのは,北ローデシア時代の1913年のことです。というわけで,今年2013年は,ルサカ誕生から100年目に当たります。

 

 100周年祭には,7月31日を中心に,大統領の出席した盛大な記念行事のほか,歴史,文化,芸術など各分野でさまざまなイベントが開催されました。

 

 

     ルサカ100周年の屋外広告

 

 

 ルサカの発祥は,鉄道の敷設に由来します。現在ザンビアとなっている地に初めて鉄道が開通したのは20世紀の初め頃です。当時南アフリカを拠点に南部アフリカのイギリス植民地を経営していたイギリス南アフリカ会社は,19世紀の終わりごろ,カタンガ(現在のコンゴ民主共和国カタンガ州一帯)の銅やマショナランド(現ジンバブエの一部)の金といった資源に期待して,これらを南アフリカへ輸送するために北に延びる鉄道建設を進めていましたが,1905~6年には,リビングストンからルサカを経てブロークン・ヒル(現在のカブエ市)まで鉄道が延びました。この鉄道は単線だったので,ところどころに側線が引かれましたが,現在のルサカの地に側線が設けられたのがルサカの発端とされています。駅の機能もあったのではないかと思います。側線は20マイルごとに作ることとされていたのでちょうど現在のルサカの地に作られたという説もあります。なお,現在,ビクトリアの滝近く,ザンビアとジンバブエにまたがってザンベジ川に架かるビクトリア・フォールズ橋は,1905年鉄道敷設時に作られた橋が今でも使われています。

 

 側線の場所の名前(駅名)はルサカとされましたが,この名前は,当時この地にあったレンジェ族の村の村長の名前から採られたようです。ルサカさんは,像狩りの名人だったそうです。ルサカの名前の起源については,諸説あるようですが,ルサカ100周年公式ホームページでは上記の説明がされています。ルサカは英語でLusakaと書きますが,元は綴りが違っていたようです。初めはLusaakasと書かれ,その後Lusakasとなり,さらに今のLusakaになったとのことです。先住民の発音をアルファベット表記したのでしょうから,多少の異同が生じるのはありうることと思われます。

 

 ここでちょっと横道にそれますが,ザンビアの地には73の部族(民族)があると言われており,ルサカ一帯の部族は先のレンジェ族のほか,ソリ族,サラ族などです。ザンビアでは伝統的な部族制は今でも続いており,それぞれに首長を戴き,独自の文化的伝統や言語を維持しています。近代的政治制度下の現在でも部族制の影響は大きく,伝統的首長は大きな権威を持っています。ザンビア政府には伝統的首長・伝統事項省という役所もあります。ザンビアでは,土地の私有制度はなく,土地はすべて国有地か伝統的土地,つまり伝統的首長の土地で,個人も企業も国又は伝統的首長から借地をすることになります。ソリ族の現在の伝統的首長は女性ですが,我が日本大使館のある一帯は彼女の一族の支配下の土地だったそうです。当館のレセプションなどにも来ていただいています。

 

 鉄道が出来てから,農業を中心にルサカ一帯への白人の移住も増え,自治体化する必要が出てきたため,1913年7月31日,ルサカに「村自治委員会」とでも訳せるVillage Management Boardが設置されたのが,ルサカ100周年の出発点です。当初,自治体としてのルサカ村の面積は鉄道を中心に5キロx1.5キロ四方ほどの小さなものだったそうですが,その後徐々に拡大されていき,現在のルサカ市は360平方キロです(参考までに,223平方キロの大阪市よりは大きく,437平方キロの横浜市よりは小さい面積です)。その後,1930年に「町」に昇格し,1960年に至って「市」となりました。

 

 当初のルサカの人口はどれくらいだったのか,知りたいと思ったのですが,なかなかデータが見つかりません。先住民をも含めた初めての人口調査が1931年に行われたそうで,結果は2,433人でした。1913年にはもっと少なかったと思われます。1931年という年は,北ローデシアの首都をリビングストンからルサカに移すことが決められた年です。1935年には首都移転が実施されました。この頃からルサカは急速に発展し始め,1964年のザンビア共和国独立以降は,共和国の首都としてさらに発展を続けました。1964年当時の人口は13万人くらいだったようです。

 

 ルサカが北ローデシアの首都に選ばれたのは,南北に走る鉄道と,東西南北に延びる幹線道路の中心に位置し,当時銅鉱山が操業するようになっていたコッパーベルト地帯にも近いという地理的理由からでした。加えて,リビングストンよりも高地にあること(気候がより過ごし易い),地下水が豊富なことなども考慮されたようです。首都になるということで,1930年代にイギリスから専門家を呼び寄せて都市計画も作られました。なお,ずっと後のことですが,2007年~2009年にかけて,日本はODAでルサカ市の総合開発計画の策定に協力しています。

 

       1955年頃のルサカ市商業地区中心街                現在のルサカ市商業地区中心街

     

  ルサカ100周年の公式ホームページに記載されている首都移転までのルサカの出来事をいくつか拾ってみます。1908年,最初の店舗建設。1910年,最初の学校開設。1913年,自治体となる。1917年,最初の自動車が走った。1918年,最初の病院開設。1921年,カイロ通り(現在ルサカ商業地区の目抜き通り)にはじめて植樹。1928年,市場開設。1930年,町となる。1933年,郵便局開設。1931年,ルサカ首都移転を決定。1932年,議事堂完成。1934年,総督官邸,イギリス南アフリカ会社の建物完成。1935年,ルサカに首都移転。町としての発展がほぼゼロから進んでいった様子が伺えます。最初の自動車が走った頃のルサカの道路の様子は,馬車の轍でデコボコで,あちこちに雑木を抜いた跡が深い穴ぼこになったまま,全体に草ぼうぼうだったそうです。 
 議事堂の建物には,現在,ザンビアの副大統領府や国防省などが入っています。総督官邸の建物は,現在,ザンビア共和国大統領官邸となっています。イギリス南アフリカ会社の建物は,我が日本大使館の隣にあり,現在,ザンビアの外務省として使われています。

 

 その後,1964年には,ザンビア共和国が独立しました。10月24日のことですが,以前にも書いたとおり,この日はちょうど東京オリンピックの閉会式の日で,北ローデシアとして開会式から参加していた選手団が,閉会式では新生ザンビアの国旗を掲げて国立競技場を行進しました。ザンビアの国旗が国際舞台で初めて披露された瞬間です。選手団はさぞ誇らしかったことと思います。ルサカも,新生ザンビア共和国の首都として新たなスタートを切りました。

 

 来年2014年には,ザンビアは独立50周年を迎えます。すでに政府の準備委員会も開催されていて様々な記念行事が検討され始めています。来年はまた,日本とザンビアとの修好50周年ともなります。日本はザンビア独立と同時に国交を開始したからです。こちらの50周年については,我々も様々な行事や公演などを企画中です。大きな節目となる2014年,日・ザンビア関係の飛躍の年となることを期待したいと思います。

 

 

                                                             平成25年10月1日

                                                   駐ザンビア特命全権大使 江川明夫