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ザンビア便り第11回 「ザンビアのスポーツ事情一端」

 

 ロンドンの ( . ) かった夏はとっくに終わりましたが、あの興奮と感動がつい昨日のことのようによみがえってきます。ザンビアはロンドン・オリンピックに7人の選手団を送り込みましたが、メダルには届きませんでした。ザンビアの選手団は、陸上競技に3人(男子100メートル走、女子100メートル走、男子800メートル走、各1人)、ボクシング1人(男子ライト・ウエルター級)、柔道1人(男子81キロ級)、そして水泳に2人(女子100メートル自由形、男子100メートル背泳、各1人)という構成でした。男子100メートル走の選手は準決勝に進みましたが、他はいずれも初戦で敗退しています。
 ザンビアの青年・スポーツ大臣が、このあまり芳しくない成績を嘆いて、「スポーツにもっと資金を投入しなければ選手は育たない」、「鉱山会社がスポーツ振興のためにもっと投資すべきだ」などと発言したと報じられています。スポーツの振興に回せる予算が潤沢にあるとは思えないので、担当の大臣としての憤懣はよくわかる気がします。鉱山会社云々についてはちょっと解説が必要かもしれません。まず、青年・スポーツ大臣は元々鉱山業界の出身で、鉱山業界のことを熟知しています。そして、ザンビアでは鉱山業が稼ぎ頭で、最もお金があるのは鉱山会社なのです。大臣が鉱山業界に身をおいていた頃は、鉱山会社がスポーツ振興にも資金をだいぶ出していたのに、今はあまり出していないと言っています。
 選手の育成にお金がかかるのはそのとおりでしょうが、それほど財政的に恵まれていない国でも種目によっては好成績を収めている例もあります。ザンビアももう少しの努力でいいところまで行けるかもしれないので、頑張ってほしいと思います。標高ではエチオピアやケニアには及ばないかもしれませんが、ザンビアは高地が多いので、陸上の中長距離走などには比較的向いているのではないかと、しろうとながらに思います。
 以前のオリンピックではザンビアはメダルを獲ったこともあります。1984年のロサンゼルスではボクシング男子ライト・フライ級で銅メダル、1996年のアトランタでは男子400メートル・ハードルで銀メダルを獲得しています。
 日本は、ザンビアのスポーツ振興のためODA(政府開発援助)による協力を行っています。ザンビア・オリンピック国内委員会本部の敷地に、陸上競技用のトラック、サッカー場、テニスコートなどを整備する事業に協力し、完工式(引き渡し式)を昨年8月に行いました。この施設は、日本の協力であることを記念して「ヤマト・フィールド」と命名されています。スポーツ振興だけでなく、青少年の育成や地元住民の健康にも役立っています。また、JICA(独立行政法人国際協力機構)の青年海外協力隊員も、これまでザンビアの各地で、スポーツ全般やサッカー、柔道などの指導のために活躍してきています。日本の協力はオリンピック・レベルの選手育成に直接つながるようなものではありませんが、「ヤマト・フィールド」で練習したことのあるザンビアの選手がオリンピックでメダルを獲る日がいつか来ることを願っています。

「ヤマト・フィールド」で運動するザンビアの青少年

 

 さて、ザンビアで最も人気があり、競技人口も一番多いのは、サッカーです。プロのリーグもあります。日本と同じく自宅だけでなく飲食店などでのテレビ観戦も盛んです。何人かが集まって口角泡を飛ばしているので近寄ってみたらサッカー談議だったなんてことも間間(まま)あります。昨年のなでしこジャパンの女子ワールドカップ優勝のときには、多くのザンビアの知人友人からお祝いの言葉をいただきました。このときは、ザンビアの人々がサッカーを通じて日本をより身近に感じてくれたように思いました。
 ザンビアが国中興奮の嵐に巻き込まれてお祭り騒ぎとなったのは、今年の2月12日、ガボンで行われたアフリカ・カップ決勝戦でザンビアがコートジボワールを破って優勝したときです。ザンビアのナショナル・チームはチポロポロ(Chipolopolo)という愛称です。「銅の弾丸」という意味だそうです。銅はザンビアを代表する産品です。この優勝決定戦には、ザンビアの副大統領はじめ何人もの閣僚、そして一般のサポーターがチャーター機数機で応援のため現地に乗り込みました。私もテレビで応援していましたが、優勝が決まった直後、夜10時半頃だったかと思いますが、戸外へ出てみると、街のあちこちからどよめきと歓声が響いてきました。その後はもう夜通し大変な騒ぎで、翌日の新聞では、繰り出した車と溢(あふ)れる人とで混乱状態となったためだと思われますが、交通事故による死者が全国で何人も出たことが報じられていました。数日後のチームの帰国のときも、空港は万を超える歓迎の人出で埋め尽くされました。

 今回の優勝は、ザンビアが1970年にアフリカ・カップに参加するようになってから実に42年目の初優勝でした。ザンビアの人々の喜びの大きさがうかがえます。ザンビアの人々にとって今回の優勝を格別なものとした事情がもう一つあります。1993年、セネガルでのサッカー・ワールドカップ予選に出場するザンビアのチームを乗せた空軍機が、ガボン沖で墜落し、チーム全員が死亡するという痛ましい出来事があったのです。今回の優勝決定戦は奇(く)しくもそのガボンで行われました。

ザンビア・ナショナル・チーム「チポロポロ」のユニフォーム

 

 この「ザンビア便り」第1回でも書きましたが、ザンビアでは、日本伝統の武道である柔道と空手が盛んです。その後の進展としては、以前から毎年開催されている「日本大使杯柔道大会」だけでなく、昨年から「日本大使杯空手大会」が開催されるようになりました。スポーツを通じた交流は両国の相互理解と友好の増進に貴重な役割を果たしていると思います。柔道では、昨年の11月に、ザンビアでの柔道の普及に長年にわたって貢献されてきたマッケンナ神父に対して「在外公館長表彰」を差し上げました。マッケンナ神父の名前はJude McKenna(ジュード・マッケンナ:「柔道、負けんな」)ですが、偶然にしても柔道家にふさわしい名前だと思います。

第1回日本大使杯空手大会での表彰式

  

 最後に、ザンビアの野球に触れたいと思います。野球はザンビアではあまり盛んではありません。おそらくザンビア人の大半は野球を知らないのではないかと思います。でも、少数ながら野球愛好家がいます。規模は小さいですがザンビア野球連盟が設立されており、毎週首都ルサカでは子供を対象とした野球・ソフトボール教室が行われています。また2カ月に1回程度ですが、ザンビア人のチームと日本チームとの交流試合を行っています。日本チームは大使館員、JICA関係者などから成っており、ザンビア・チームはルサカの野球愛好家が中心で、職業も色々ですが、時に地方でJICAの青年海外協力隊員から野球を教わったという方も参加しに来られます。当地では野球道具が手に入らないため、皆知り合いの日本人からもらったユニフォームで試合に参加します。ですので皆ばらばらのユニフォームでプレーするわけですが、そのユニフォームには日本人の名前が入っており、それが彼らの誇りとなっています。先日の試合は、13対12で日本チームは惜敗でした。ささやかながら、この交流もまた、スポーツを通じた両国間の友好に貢献していると自負しています。

日本対ザンビア交流試合                      試合後の両チーム交歓

 

平成24年9月13日
駐ザンビア特命全権大使 江川明夫