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ザンビア便り第10回 「ビクトリアの滝とリビングストーン」

 

 この在ザンビア日本国大使館のホームページのトップページ右上の写真がビクトリアの滝です。ビクトリアの滝は北米のナイアガラ、南米のイグアスと並んで世界3大瀑布の一つと言われています。ザンビア(Zambia)という国名はザンベジ(Zambezi)川から採られたものですが、ビクトリアの滝は、ザンベジ川の途中にあります。ナイル川、ザイール川、ニジェール川に次ぐアフリカで4番目の大河です。ザンビア北西部の奥地に発するザンベジ川は、一旦アンゴラに入った後、南下してザンビア南部に至り、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエとザンビアとの国境線を形作って流れていますが、ビクトリアの滝は、ザンベジ川がジンバブエにさしかかった辺りにあります。ビクトリアの滝を境目にして、これより西がザンベジ川上流、東が中流とされているようです。ザンベジ川は、さらに東に流れて下流となり、最後はモザンビークからインド洋に注ぎます。

d-maps.comより転載・加工http://d-maps.com/carte.php?lib=zambia_map&num_car=26228&lang=en

 ビクトリアの滝は世界遺産にも登録されています。ザンビアは野生動物のいる国立公園など観光資源に恵まれていますが、ビクトリアの滝は一番の観光名所と言えるでしょう。滝の最大落差108メートル、幅1708メートルという規模で、ザンベジ川の水がほぼ垂直に切り立った崖をドーッと流れ落ちる様は壮観です。滝は以前はもっと東の方にあったのが、長い年月の間に上流方向(西)へと浸食が進み、現在の位置にまで後退したとのことです。

 ビクトリアの滝という名前は、19世紀イギリスのビクトリア女王に由来しています。イギリスの宣教師・探検家、デビッド・リビングストーンは南部アフリカを数次にわたって探検しましたが、1855年11月16日、この滝に至り、これに当時の女王の名を冠しました。初めてこの滝を目にしたヨーロッパ人とされています。ザンベジ川を上流から下ってきて、5~6マイル先に初めて滝の水煙を目にし、まるでアフリカの草原が燃えるときの煙のように水煙が立ち上っていたと記述しています。そして、緑溢れ、色とりどりの花も咲く滝一帯の景色を、「きわめて美しく」、「きっと空から天使がめでたに違いないほどの美しさだ」と表現しています。 リビングストーンは、さらに下って、川中の滝の縁に近い小島に上陸して、島の縁から滝を覗き込みます。そして、右岸から左岸までの広さにわたって眼下に水が遙か下方に流れ落ち、水煙が白雲のように立ち上る様を目にして、アフリカで見た最もすばらしい光景だと評しています。この島は今、リビングストーン島と呼ばれ、ここでのピクニックなどが楽しめます。(リビングストーンによる記述はDavid Livingstone, “Missionary Travels and Researches in South Africa,” 1857に拠っています。)
 リビングストーンは、現在のように写真などからあらかじめイメージを持っていたわけではないので、滝をはじめて見たときの驚きや感動はさぞ大きかったのではないかと想像されます。ザンベジ川の水量は雨期(11月頃~3月頃)と乾期(4月頃~10月頃)によってずいぶんと差があり、乾期には滝の水量もぐっと減るようです。リビングストーンがはじめてこの滝を訪れたのは11月後半ですので、水量も十分迫力があったと思われます。
 この滝は、元々現地の人々の間では「モシ・オア・ツニャ(Mosi-oa-Tunya)」と呼ばれていました。「雷鳴の轟く煙」という意味でだそうで、英語ではsmoke that thundersと訳されています。地の底から響いてくるようなゴーゴーという圧倒的な水音、そして空高くもうもうと舞い上がる水煙を滝の現場で見聞きすると、この現地語の名付け方も頷けます。水煙は川水が崖を流れ落ちた後に水しぶきが上に舞い上がってできるのですが、数百メートルの高さまで達することもあるそうです。順路に沿って滝を見物する際には、この水煙の恵みに浴することになります。水しぶきがまるで雨のように、時によっては豪雨のように、降り注ぐので、全身びしょ濡れになります。このため、雨合羽などのレンタルもあります。
 ビクトリアの滝には虹がよくかかります。夜にも虹が出ることがあり、「月の虹」と呼ばれています。晴れた月夜に、滝の水煙が月光を反射して虹ができるもので、満月のときが一番見頃のようです。実に幻想的な美しさで、ビクトリアの滝名物となっています。この月の虹を写真にとるためわざわざ日本から来たという方に偶然現地でお遭いしたことがあります。
ザンビアで人気が高いモシ(Mosi)という名のビールがありますが、滝の名に因んだ名前で、ラベルにはビクトリアの滝の絵があしらわれています。また、滝近くのホテルには、ザンベジ川に因んだ、ニャミニャミ(Nyami Nyami)という名のカクテルがあります。ニャミニャミとは、ザンベジ川に棲む川の神で、頭は魚、胴体は蛇の格好をしているそうです。ちょっと長い名前ですが、「リビングストーン博士とお見受けしますが」(Dr. Livingstone, I Presume?)なんていうカクテルもあります。リビングストーンは、探検の途上、タンガニーカ湖近くで病と物資不足で困難に陥り、イギリスでも消息不明とされていました。このとき、アメリカの新聞社からヘンリー・スタンレーという記者がリビングストーン捜索に派遣されました。そして、やっとリビングストーンに出逢えたときにスタンレーが最初に発したのが、「リビングストーン博士とお見受けしますが」というせりふであったとされており、有名な言葉になっています。スタンレー自身も、その後アフリカを探検しています。こうした飲み物を一杯やりながらザンベジ川とビクトリアの滝を眺めるのも一興です。

ザンベジ川と滝の水煙                   モシ・ビール

    ニャミニャミの像   

 滝の近くにリビングストーン市があり、滝一帯の観光の拠点となっています。ジンバブエ側には同様にビクトリア・フォールズ市があります。ザンビアもジンバブエもかつてイギリスの植民地であり、19世紀の終わり頃からセシル・ローズの率いるイギリス南アフリカ会社が治めていました。今のリビングストーン市の地も、イギリス人が入植し、栄えていきましたが、20世紀初頭にデビッド・リビングストーンに因んでリビングストーン市と命名されました。1905年にはビクトリアの滝に近い場所に両岸をつなぐ橋が建設され、鉄道も敷かれて、両岸間の交通が飛躍的に容易となり、リビングストーン市はさらに発展を遂げていきました。1935年までは、北ローデシア(植民地時代のザンビアの地の名前)の首都でもありました。当時の橋が修理を経て今でも使われていて、ザンビアとジンバブエとを結ぶ重要な橋の一つとなっています。このビクトリア・フォールズ橋の中間に111メートルという世界屈指の高さからジャンプするバンジージャンプ施設があり、観光アトラクションの一つとなっています。

ビクトリア・フォールズ橋

 リビングストーン市には、リビングストーン博物館があります。元々は、デビッド・リビングストーン記念博物館という名で1934年に開設されたものですが、その後現在の名に改名されました。ザンビアの動植物や、人々の生活の歴史などの展示のほか、デビッド・リビングストーンに関する展示室があり、彼が実際に使った道具類や直筆の手紙なども展示されています。デビッド・リビングストーンは探検中に病に倒れ、1873年に今のザンビアの中央州北東部で亡くなりました。その地には今、リビングストーン記念碑が建っています。これまで日本はリビングストーン博物館に対して視聴覚機材を供与し、青年海外協力隊員を派遣するなどODA(政府開発援助)による協力を行っています。
 滝を含む一帯は国立公園になっていて、ゾウなどの野生動物もいます。ザンベジ川クルーズやラフティング、ゾウに乗る体験ツアーなど、様々なアクティビティーも盛り沢山で、魅力溢れる観光地となっています。ザンビア政府は、経済発展のための重要分野として観光産業の振興に力を入れており、観光キャンペーンも行っていますが、「観光首都」と位置づけてリビングストーン市をさらに盛り立てていこうとしています。
 来年には、世界観光機関の総会が、ザンビアとジンバブエの両国がホスト国となって、ビクトリアの滝地区で開催される予定です。観光の振興に力を入れているザンビアにとって、まさに晴れ舞台になるでしょう。ザンビア政府はこの大きな国際会議の成功のため、リビングストーン空港ターミナルを整備するなど、すでに着々と準備を行っています。
 日本からもっと沢山の方々が、ビクトリアの滝とリビングストーン市を訪れていただけるよう期待しています。ビクトリアの滝を訪れる観光客はジンバブエ側を拠点とする人の方が多いと聞きますが、ザンビア側からの滝観光も利便性十分ですし、アトラクションなども色々そろっています。日本から来る場合、南アのヨハネスブルグからリビングストーンへ航空便が毎日あります。宿泊施設も、敷地内からそのまま徒歩で滝へ行けるホテルやザンベジ川に面したホテルなど、バラエティーに富んでいます。ザンビア側に宿泊する場合でも、国境通過手続きを経てジンバブエ側からも滝を見物することができます。是非魅力溢れるザンビア側を拠点としてビクトリアの滝観光に訪れていただければと思います。

 

 

平成24年4月23日
駐ザンビア特命全権大使 江川明夫